京都散策  平家物語 
   写真で巡る都の春秋
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               祇園社(八坂神社)  平成十四年 元旦                                                            枚方市 重田氏撮影
  ”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
   
     
 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
   
     驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
    
        猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。”

              妙心寺 東林院 沙羅双樹の落花   
  写真はいずれも中京区在住の写真家 伊藤昇氏の写真集
      写真紀行
”Gallery ITO”
から、許可を得て転載しました。
  沙羅双樹 純白の花 
 はじめに    
  ”祇園精舎の鐘の声、
       諸行無常の響きあり。・・・”

 
 お馴染みの名文句で幕を開ける「平家物語」は、800年前の京都を舞台に繰り広げられた、まさに、栄枯盛衰の物語です。
 京都に住み京都で働く私の周りには、日頃見慣れた風景の中に、物語にまつわる建物・史跡等が数多有ります。
 そこで、物語の展開を身の回りの風景写真で追って見ようと思います。題して
”京都散策平家物語”、はてさて如何がなります事やら。

 なお、物語のあらすじは、各所に現存する原本の内、覚一系の流布本を参考にしましたので、皆さんが御存じの平家物語とは多少異なるかも知れません。

                            平成14年 元旦 

 (掲載しました写真は、枚方市在住のアマチュアカメラマン・重田氏ほか多数の方々から提供して頂きました。) 
 国立国会図書館所蔵貴重画像 転載許可年月日等 平家物語偏 平成13年6月14日 国図図第33号
                        源氏物語偏 平成18年5月19日 国図企第060104004−5−6


 * 保元物語(現代語訳) について

  平家物語をさかのぼる事20余年、都では皇位継承を巡り、皇族・公家・武士各々が、親子兄弟を二分する醜い争いを興しました。この戦いが、その後の源平の盛衰を運命付ける大きな原因となったのです。世に、
”保元の乱”、と云われますこの戦いの顛末は、保元物語を御覧下さい
。物語は、鎮西八郎為朝を中心に進められます。
              
 * 平治物語(現代語訳) について
   
   保元の乱の論功行賞に不満を持った源義朝は、出世欲を満たさんとする公家・藤原信頼に同調し、平家一族が熊野詣に出た隙に乗じて、天皇や上皇を幽閉し、乱を起こしましたが、熊野から取って返した平家軍の反撃に遭って忽ちの内に敗北し、源氏は壊滅的な打撃を受けました。その結果、かろうじて助けられた頼朝らが20年後に蜂起するまで、平家は我が世の春を謳歌したのです。源平が、その後の明暗を分けたこの戦いを、”平治の乱”、と申します。物語は、主人公・悪源太義平を巡る戦いです。

 平家物語の中でも、保元の乱とともに、随所に取り上げて語られますので、二つの物語を一読すれば、平家物語の世界がより広がります。
   
  平家物語 (現代語訳)について   

 平治の乱を制した平家は、後白河法皇の絶大なる信頼を背景に、自らの勢力を拡大し、一時は、日本国60余州の半分を制しました。平の時忠は、”平家にあらずば人にあらず。”と高言し、皇家さえも手中にしようとする清盛公に、さすがの後白河法皇も我慢ならず、その上、平家の公達の横暴なる振る舞いが重なって、市民の人気も次第に凋落、終には、源氏の再興を促す事となり、砂上の楼閣が波に曝されて崩れるように、自ら滅んで行ったのです。源氏物語と並び称される、日本の代表的な古典で、12巻・120話にて構成される一大合戦記です。

 物語の低辺には、法然上人の唱えられた浄土信仰が流れており、一の谷や、壇ノ浦で討たれて散った平家の公達(きんだち)への”鎮魂歌”だと云われる由縁でもあります。
  源氏物語 (現代語訳)について

  平家物語の時代をさかのぼる事 更に300余年、王朝文化が華々しく花開いた京の都を舞台に、平安貴族の雅びの世界が繰り広げられます。平家物語が歴史的事実を基に創られたのに対して、源氏物語は一人の貴公子を取り巻く数多の女性との愛と葛藤を描いた全くのフィクションですが、様々な男女の心の動きや、喜怒哀楽の在り方などは、幾年月を重ねても変わることのない、何時の時代にも共通する人間の煩悩であり、今も変わらぬ人気を保持しています。時の帝の御子・光源氏の誕生に始まる、全54巻からなります一大絵巻です。

 描かれた両者の世界は全く異にしますが、作者の紫式部は、そのモデルを嵯峨源氏の源融に求めたと言われており、平家物語にも彼の子孫が登場して活躍しますので、全く関連が無いとも言い切れません。
 平家物語名場面集(どこでもドア) 
          (物語の中の名場面を抽出しました。) 
   クリック !!
  (戻る時は、ブラウザで!!)
 巻頭  祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響き有り 
     インドの本物の”
沙羅双樹の花”が御覧頂けます。!!
第一  一 「祇園精舎の事」
 @ 宇治川先陣争い・佐々木高綱梶原景季(名馬 生喰と磨墨)   第九  九 「宇治川の事」
 A 粟津の松原・木曽義仲の最期・”木曽殿と背中合わせの寒さかな” 第九  四 「木曽の最期の事」
 B 青葉の笛無官の大夫平の敦盛と熊谷次郎直実・・”一の谷の軍破れ・・。”     第九 十五 「敦盛最期の事」
 C 扇の的 ・那須の与一 ・扇は夕日にきらめいて・・・。”                              第十一 五 「那須与一の事」
 D 祇王と祇女と仏御前祇王寺 ・ もえいづるも枯るるも同じ野辺の花”                                      第一   六 「祇王の事」 
 E 琴きき橋・小督と仲国 ・ ”峰の嵐か松風か 尋ぬる人の琴の音か・・・。” 第六  三 「小督の事」
 F 鬼界が島俊寛僧都の絶食死  第三  七「有王が島下りの事」
 G 扇の芝源三位入道頼政”うもれ木の花咲く事もなかりしに・・・。”(宇治橋の戦) 第四 十一 「宮の最期の事」
 H 文覚袈裟御前 ・源 頼朝蜂起の仕掛け人。   第五  七 「文覚荒行の事」
 I 倶利伽羅峠の戦い木曽義仲の蜂起と斉藤別当実盛の最期  
       ” 無惨やな 兜の下の きりぎりす ”  松尾芭蕉
第七  五「倶利伽羅落しの事」
 J 巴御前 女武者・木曽殿との別れ 第九  四「木曽の最期の事」
 K 旅宿の花・薩摩守忠度と歌人藤原俊成との別れ・花や今宵の主ならまし。” 第七 十五 「忠度都落ちの事」
 L 一の谷の戦い九郎判官義経 ・”馬も四足鹿も四足・・・” (鵯越の奇襲) 第九 十一 「坂落しの事」
 M 吾妻下り・重衡蝉丸 ・”これやこの行くも帰るも別れては・・”(歌枕) 第十   六 「海道下りの事」
 N 静御前 登場!!・”しずやしずしずのおだまきくりかえし・・・。” 第十二四「土佐坊斬られの事」
 O 先帝入水安徳帝二位の尼・”波の底にも都の候ふぞ。 第十一 十 「先帝御入水の事」
 P 碇知盛(いかりとももり)・ ”見るべき程の事をば見つ”  第十一 十二「内侍所の都入りの事
 Q 腰越状の事頼朝義経の仲違い   第十一 十六「腰越の事」 
 R 建礼門院の出家・長楽寺 ・”ほととぎす花たちばなの香をとめて 平家灌頂の巻 八「女院出家の事」
 S 寂光院の鐘の声・建礼門院六道輪廻・”いざさらば涙くらべんほととぎす・・・。” 平家灌頂の巻 九「小原への御入の事」 
 21 保元物語  鎮西八郎為朝 参上  保元物語 その3
 22 平治物語  悪源太義平   参上  平治物語 その2
 23 奥の細道  芭蕉旅日記 ・” 夏草や 兵どもが 夢の跡 ”   
           
 奥の細道と平家物語
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平家の家紋
揚羽蝶 (あげはちょう)
源氏の家紋
 笹竜胆 (ささりんどう)
平成18年10月7日
アクセス20万件突破
             平成18年4月25日設置
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