下巻 第56話  建礼門院 大原寂光院へ
 寂光院のこと

 思ひきや深山の奥にすまいして
    雲居の月をよそに見むとは

                 

                  建礼門院

 当寺は、推古2年(594)に、聖徳太子が用明天皇の菩提を弔うためにお建てになったもので、本尊の地蔵菩薩は、太子が御父の御菩提のためにお作りになりました。文治元年(1185)に建礼門院が御閑居遊ばされて後は、代々皇族・公家方の姫君が静かに清らかな法灯を灯される寺院となりました。

      (寂光院パンフレットより)
平成12年5月9日未明の出火で、一部が焼失しました。諸行無常の掟は、仏門にも及ぶのでしょうか。平成14年9月初旬御参りした時には、丁度再建中でした。
大原 寂光院 秋の参道
左京区大原草生町
交通機関 京都駅京都バス大原下車徒歩20分
 ほととぎす治承寿永の御国母
     三十にして経よます寺


           与謝野 晶子
はんみょう
”はんみょう”を御存じですか。玉虫色の昆虫で、別名”道しるべ”と言います。私たちの目指す寂光院の参道を、一対のはんみょうが案内してくれました。
灌頂の巻 九、「小原への入御の事」

 さんぬる七月九日の日の大地震に、築地も崩れ、荒れたる御所も傾き破れて、いとど住ませ給ふべき御便もなし。緑衣の鑑使、宮門を守るだにもなし。心のままに荒れたるたまがきは、茂き野辺より露けく、折り知りがほに、いつしか虫の声恨むるもあわれなり。さるままには、夜もようよう長くなれば、いとど御寝覚がちにて、明かしかねさせ給ひけり。尽きせぬ御物思に、秋のあはれさへうち添ひて、いとど忍び難うぞ思し召されける。

あらすじ

 さる7月9日の大地震により、御所の築地も崩れ、元々荒果てた御住いが一段と傾きかけて、とても門院の住まいとは思われない荒れ様です。宮門を守る警護の侍さえ、今は居ません。玉垣も崩れて、野辺と化した庭のあちこちから、何時しか虫の鳴く声が聞こえる頃となりました。

 建礼門院には、長き夜を眠られぬままに、明かされる日々が続いている御様子です。尽きせぬ物思いに、秋の哀れさも加わって、さぞ忍び難い思いをされている事でしょう。

 浮世もすっかり変わり果て、情けを掛けてくれる人とてありません。ただ、冷泉の大納言・隆房卿
(注1)の奥方(清盛の娘)と七条修理太夫信隆の奥方(同)が、人目を忍んで時々尋ねて来てくれました。門院は、

 「まさか、あの方達の世話になろうとは、思いもせなんだ」と、その有り難さに涙されるばかりです。

 しかし、この住まいは余りにも都に近く、人目が気になります。露の命を静かに過ごせる、何処か奥山へと望まれていますが、聞き届ける者とて居ません。しかし、ある女房が吉田の館へ参って、

 「小原の奥・
寂光院(写真)こそ、静かな所です」、と申し上げました。そこで、山里は物寂しき所とは聞いていますが、世の憂き事に惑わされるよりはと(注2)、小原行きを思い立たれたのです。輿は隆房卿らが用立てられたと聞いております。

 文治元年長月(旧9月)の末に、寂光院へお入りになりました。四方の色づき始めた梢を眺めながらの道行きでしたが、山蔭のこと故、日の落ちるのも早く、やがて辺りは暮れかかりました。

 近くの寺で打ち鳴らす鐘の音が響き渡る頃には、草を分ける袖が露に濡れ、山から吹き下ろす強風が、木の葉を舞い上げます。空もにわかに曇って、何時しか時雨となりました。

 何処からか鹿の鳴く声が微かに聞こえ、風に吹かれて虫の音も跡絶え勝ちです。心細い門院のお気持ちは、喩えようも有りません。浦伝い島伝いに明け暮れた西海の暮らしも、さすがに、これ程寂しい事はなかったと、今更ながら思われるのでした。

 寂光院の庭は、苔むした岩に囲まれて、侘びしい所ですから、住うには相応しいと思われたのでしょう。霜枯れした萩、生け垣の枯れた菊を見るに付け、これぞ御身の上と思し召されて、仏の御前に向かわれ、

        「天子聖霊成等正覚 一門に魂頓証菩提」、

  とお祈りされるのでした。しかし、先帝の菩提を弔う程に、何時までも、先帝の御面影が、御身にひしと添い、世が如何に変わろうとも忘れる事が出来るものでは有りません。門院は寂光院の傍らに、御庵室を作って、一間を仏間と定め、一間を御寝所に設えて、日夜お勤め・読経を怠らず月日を過ごされたのです。

 寂光院へ移られて幾日か過ぎた神無月(旧10月)5日の暮れ方、庭に散り敷く楢の葉を踏み鳴らす足音が聞こえてきました。

 「世を厭うて住まう所に、尋ね来るは誰ぞ。見ておくれ、次第によっては、急ぎ隠れましょう」とて、表を見ますと、人にはあらず、庭を駆け抜けて行く子鹿の足音でした。門院、
 「これはどうした事でしょう」と、驚きの声をあげられ、大納言典侍の局は涙を抑えて、詩を詠みました。
  
   
岩根ふみ誰かは問はん ならの葉の
           そよぐは鹿の 渡るなりけり


 門院、この歌が余程身に滲みたのか、短冊にして窓の小障子に止められた程です。

 この様な日々のお暮らしの中でも、心和む事も数多ありました。軒に花を並べて七重宝樹に型どり、岩から落ちる滝の水を八功徳水になぞらえたりーー。

 無常は春の花、風に吹かれて散り行き、人の世は、秋の月、見る間に雲に隠れてしまいます。昔は玉楼金殿(御所のこと)に住まわれて、錦のしとねにくるまれていた御方が、今は柴と草に覆われた庵に住まわれているのです。


 (注1) 冷泉の大納言・隆房卿・・・上巻第六 三「小督の事」に、小督のかっての恋人として登場されます。
 (注2)  山里は物のさびしき事こそあれ
           世のうきよりは 住みよかりけり
    古今集 詠み人知らず
 
                                         
        寂光院参道
   
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