源氏物語 総合索引・目次
 
 
 石光山・石山寺 住所 滋賀県大津市石山寺1-1-1
 交通機関 京阪電鉄「石山寺駅」から徒歩15分、またはJR琵琶湖線「石山駅」から徒歩5分...
 本尊は如意輪観音、西国三十三箇所観音霊場第13番札所です。「源氏物語」の作者紫式部は、この石山寺で物語の構想を練ったと云われるところから、本堂には源氏の間が設けられています。物語の中でも、第16帖”関屋”のところで、光源氏がお礼参りのため、参拝する場面が描かれています。写真は、当寺の東大門と、紫式部像です。

 なお、上記写真は、HP ” 高画質壁紙写真集無料壁紙 ”から、製作者の利用規約に従い、転載しました。

 紫式部の横顔:

 天延元年(979)、 読書役を務める越後守藤原為時の娘として生まれました。

 父母共に歌人、父は皇子の教授を務める程著名な漢学者でもあったところから、幼い頃より歌や漢学に親しんで育ちましたが、4歳で母親を亡くしました。

 家系は藤原一族でしたが、当時の権力者・藤原道長と、父とは相性が悪くて、国司の地位に甘んじています。従って、一家は、源氏物語の話とはかけ離れた生活をしていたものと推察されます。
 
 結婚も29歳になって17歳年上の男姓としましたが、一女を設けて、3年後には死別しました。

 その頃から、宮中に仕えるようになり、同時に、源氏物語を執筆し始めたそうで、「紫式部」はペンネーム、常は藤式部と呼ばれていたそうです。「式部」は、父の官職が式部大丞だったことから。本来の名前は不詳。

 文才は、道長も認めていて、彼女の執筆を急がせたと言われています。
 長和5年(1016)没

 三十六歌仙にも選ばれた歌人でも有ります。同時代に活躍した和泉式部などと親交があったと言われていますが、一般には仲が良くなかったと言われている清少納言とは、接触した形跡は見当たらないと言う事です。
 小倉百人一首には、次の歌が選ばれています。

 
 ” 巡りあい 見しやそれとも わかぬ間に
             雲がくれにし 夜半の月かな ”


  琵琶湖のほとりの石山寺にて執筆したと伝えられており、同寺の一角には、紫式部の部屋が設えて有ります。
(右の写真)

 源氏物語は第1帖「桐壺」に始まって、「夢浮橋」まで54帖からなっています。その内、45帖「橋姫」から54帖まで、舞台を宇治に移して展開されますので、この10帖を
”宇治十帖”と申します。
 
   

 ”石山寺 源氏の間” 紫式部の執筆風景
 一陽斎・歌川豊国筆


 上の絵は、国立国会図書館が所蔵している貴重画像を、同図書館のホームページから、転載許可を受けてコピーしたものです。
転載には許可を必要とします。手続き等は、下記の、同館ホームページをご覧下さい。

 http://www3.ndl.go.jp/rm/

  源氏の庭            平成18年10月11日
   
 廬山寺(ろざんじ) 源氏の庭    上京区寺町広小路上ル 地下鉄 南北線 「今出川」下車 徒歩10分

 廬山寺は、村上帝の時代(950)に、比叡山の慈恵大師によって、元は船岡山南麓に建立されていたのを、天正年間に当地へ移築されたものです。しかしこの地は、昔から、紫式部の邸宅跡だったと言われており、紫式部が、この地で、「源氏物語」や「紫式部日記」を執筆したと伝えられているところから、同寺では、敷地の一角に、
”源氏の庭”を設え、数々の関連資料を展示しています。
 その花の色の紫に由来するのでしょうか、庭に咲く桔梗(ききょう)が、この寺のシンボルになっています。見頃は、毎年6月から7月頃だそうです。

 訪れたのは、10月中旬、ムラサキシキブの実が色付いておりました。


 なお、源氏の庭の桔梗の写真は、HP”京都うらみちあんない”から、製作者の承諾を得て、転載しました。詳しい京都観光情報は、次のHPを御覧下さい。
              http://homepage1.nifty.com/hon/index.html
  源氏物語  モデルとなった源融(みなもとのとおるについて (クリック) 
 源氏物語目次・・表題をクリックして下さい。
 帖  クリック!! 光源氏の年齢・処遇等  概        要
 第1帖 桐 壷(きりつぼ) 光源氏・誕生から12歳まで 帝と桐壺の出会い・光源氏の誕生・母桐壷の死・葵の上との結婚・藤壺との出会い。
 第2帖 箒 木(ほうきぎ) 光源氏・近衛の中将・17歳の夏 友人との妻談義・空蝉との出会い。
 第3帖 空 蝉(うつせみ) 光源氏・17歳の夏から秋 ゆきずりの恋・・・軒端萩との一夜。
 第4帖 夕 顔(ゆうがお) 光源氏17歳夏から秋 夕顔との出会い、そして死別・空蝉との別れ。
 第5帖 若 紫(わかむらさき) 光源氏18歳3月から10月 若紫(紫の上)との出会い・藤壷との巡り合いそして受胎
 第6帖 末摘花(すえつむはな) 光源氏18歳正月から19歳正月 紅花・末摘花との出会い。そして絶望。
 第7帖 紅葉賀(もみじのが) 光源氏18歳の秋から19歳秋 若宮の誕生・帝の喜びと、藤壷と源氏の君の苦悩。
 第8帖 花 宴(はなのえん) 光源氏20歳の春 六の宮・朧月夜との出会い。
 第9帖  葵(あおい) 光源氏22歳の4月から23歳正月まで 御息所の妬みと葵の上も出産と死。紫の上との結婚。
 第10帖 賢 木(さかき) 光源氏23歳の9月から25歳の夏まで 御息所との別れ。藤壺の出家。朧月夜との危ない逢う瀬
 第11帖 花散里(はなちるさと) 光源氏25歳の5月25日  朧月夜との密会が露見・源氏の君の焦燥感
 第12帖 須 磨(す ま) 光源氏26歳3月から27歳3月まで 源氏の君須磨に蟄居。
 第13帖 明 石(あかし) 光源氏27歳3月から28歳8月まで 源氏の君明石へ、明石の上との回り逢い。そして、京の都へ。
 第14帖 澪 標(みおつくし) 光源氏28歳10月から29歳11月まで 源氏の君内大臣へ。明石の上に姫君誕生。御息所の死。
 第15帖 蓬 生(よもぎふ) 光源氏28歳秋から翌年4月まで 源氏の君、末摘花と再会。
 第16帖 関 屋(せきや) 光源氏29歳の晩秋から初冬 源氏の君石山寺参拝、空蝉との再会。
 第17帖 絵 合(えあわせ) 光源氏31歳3月 斎宮が帝の后に。歌合せの催し。
 第18帖 松 風(まつかぜ) 光源氏31歳の秋 明石の上親子が嵯峨・大堰川の山里へ
 第19帖 薄 雲(うすぐも) 光源氏31歳の冬から32歳の秋まで 明石の姫君二条院へ、藤壺の宮の死、冷泉帝の出生の秘密露見。
 第20帖 朝 顔(あさがお) 光源氏32歳の9月から冬まで。 朝顔との恋・そして失恋。
 第21帖 乙女(をとめ) 光源氏33歳の4月から35歳の10月まで 嫡子・夕霧と雲居の雁との恋。
 第22帖 玉鬘(たまかづら) 光源氏34歳末から35歳12月まで 夕顔の忘れ形見・玉鬘を探し当てて、六条院へ住まわせる。
 第23帖 初音(はつね) 光源氏36歳正月 新しい年が明けて、挨拶回りや新年の行事が催されました。
 第24帖 胡蝶(こちょう) 光源氏36歳春 春の園遊会。養親の光源氏が玉鬘に愛を告白。
 第25帖 蛍(ほたる) 光源氏36歳五月雨時  玉鬘への恋文。源氏の君の文学論。夕霧に悩み。
 第26帖 常夏(とこなつ) 光源氏36歳夏  玉鬘が、和琴の名手の父恋しさに、和琴を習う。内大臣の娘・近江の君登場。
 第27帖 篝火(かがりび) 光源氏36歳7月 玉鬘と実の兄弟・柏木・弁の中将の出会い。
 第28帖 野分(のわき) 光源氏36歳の8月 夕霧と紫の上・玉鬘との出会い。父・源氏の君への不審。
 第29帖 行幸(みゆき) 光源氏37歳2月 玉鬘を実父・内大臣に託す。
 第30帖 藤袴(ふじばかま) 光源氏37歳8月から9月
工事中
 平成18年4月源氏物語着手。
      
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