保元物語 

 保元の乱の概要:

 平家物語の時代をさかのぼる事20余年、舞台は同じ京の都、皇位継承を巡って皇族・公家・武士が二手に分かれ、肉親同士が相争う戦いを起こしました。これを保元の乱と申します。戦いは規模も小さくて、比較的短期間にて決着が付いたのですが、勝者の敗者に対する戦後処理は、余りにも過酷なものでした。その頃、朝廷を牛耳っていた藤原信西が裁断を下して、勝者となった清盛や義朝に、敗者となった自らの親・兄弟・従兄弟を斬り殺ろさせたのです。

  また、皇族方の争いにより、敗者となられ讃岐で恨みを残して崩御された、崇徳院の怨念が何時までも治まらずに、地震・火災・大風となって、都の人々を悩まし続けました。
 
 一方、清盛とともに勝者となった源義朝は、敗者である父や弟を自らの手に掛けながら、清盛と較べてその報酬は余りにも少なく、これが原因で、3年後平治の乱を引き起こし、自ら滅んで行きます。

 保元の乱を読みますと、平家物語で語られる平家の隆盛から滅亡までの総ての要因が、この乱に包含されていたような気がします。

 保元の乱の構図  
 区 分(続柄) 後白河法皇方(勝 者) 崇徳上皇方(敗 者)
氏    名 氏     名 戦後の処分
皇  族 兄弟 後白河天皇(四ノ宮) 後白河院の兄 崇徳上皇・重仁親王 讃岐へ流され憤死
公  家 兄弟 藤原忠道 忠道の弟 藤原頼長 逃亡の末自害
武 士   (源氏) 親子・兄弟 源義朝 義朝の父 源為義・弟鎮西八郎為朝ら 義朝が父兄弟を斬首
武 士   (平家) 叔父・従兄弟 平清盛・平重盛 清盛の叔父の平忠正とその子供4名 清盛が叔父らを斬首

 「保元物語」 の成立と作者等について

 「保元物語」が作られた時期については諸説が有りますが、遅くとも1239年頃には成立していたであろうと推測されています。従って「平家物語」の成立時期とほぼ同時期ですが、「保元物語」が先に作られたという説が有力です。
 作者について、「平家物語」には徒然草の中に記述があって、作者を特定する有力な手掛かりとなっていますが、「保元物語」には作者に関する手掛かりがほとんど無く、学者間では諸説唱えられていますが何れも推測の域を出ません。なお、その文体等から、「平治物語」と「保元物語」は同一の作者ではないかと言うのが定説です。
(「平家物語」の成立等に関しては、「総合索引」の末尾参照のこと。)

 現存する原本は、渡辺文庫本・金毘羅本・前田家本など各所に有りますが、平家物語と同じ様に其々記述や構成に違いが有るそうです。

 私が参考にしましたのは、

        岩波文庫 昭和 9年11月15日 初版
        岸谷 誠一 校訂 「保元物語」
        岸谷 誠一 校訂 「平治物語」 です。

 岸谷氏は、渡辺文庫本を底本にしたと書かれています。
 * 保元物語は、上巻・下巻の2巻からなっています。2巻とも各編に番号は付いていませんが、当方で適宜附番しました。
   保元物語 目 次 
   上 卷 本 文 目 次     物 語 の 概 略
  第一  後白河院御即位の事
第二  法皇熊野御参詣并びに御託宣の事
第三  法皇崩御の事
 
四宮(後白河)の即位により、崇徳院と美福門院との軋轢深まる。鳥羽法皇の崩御。
  第四  新院御謀叛思し召し立つ事
第五  官軍方々手分けの事
第六
 親治等生捕らるる事
第七  新院御謀叛露顕并びに調伏の事
     付たり内府意見の事
 
崇徳院の謀叛が囁かれる。後白河帝側に源義朝や平清盛ら参集。
崇徳院と悪左府・頼長との謀議が発覚。
  第八  新院為義を召さるる事付たり鵜丸の事
第九  左大臣殿上洛の事付たり著到の事
第十  官軍召し集めらるる事
第十一 新院御所各門々固めの事
     付たり軍評定の事
 
崇徳院が義朝の父・源為義を召す。鎮西八郎為朝と共に参集。
頼長が鎮西八郎の提案した夜襲作戦を無視、敗戦の原因となる。
 4 第十二 将軍塚鳴動并びに彗星出づる事
第十三 主上三条殿に御幸の事
      付たり官軍勢汰への事
第十四 白河殿へ義朝夜討ちに寄せらるる事
 
義朝の申し出た白河殿への夜襲を決行する。
 5 第十五 白河殿攻め落す事
鎮西八郎奮戦するも、義朝が火を掛けて崇徳院の御所・白河殿が落ちる。
 6 第十六 新院・左大臣殿落ち給ふ事
第十七 新院御出家の事
崇徳院は為義らと共に、東国へ逃れんと、東山如意が岳を目指されるも、諦めて仁和寺を訪ねて、そこにて出家される。
 下  巻      本 文 目 次    物 語 の 概 略
 7
下巻 第一 朝敵の宿所焼き払ふ事
下巻 第二 関白殿本官に帰復し給ふ事
        付たり武士に勧賞を行はるる事
下巻 第三 左府御最後附たり大相国御歎の事
悪左府・頼長は奈良へ逃れるも深手を負って自害。
 8 下巻 第四 勅を奉じて重成新院を守護し奉る事
下巻 第五 謀叛人各召し捕らるる事
下巻 第六 重仁親王の御事
下巻 第七 為義降参の事
為義病を経て、降伏し義朝を頼る。
 9 下巻 第八 忠正・家弘等誅せらるる事
下巻 第九 為義最後の事
清盛が叔父忠正らを斬首。
為義が息子・義朝の手に掛かり斬首。
 10 下巻 第十  義朝の弟ども誅せらるる事
下巻 第十一 義朝幼少の弟悉く失はるる事
下巻 第十二 為義の北の方身を投げ給ふ事
下巻 第十三 左大臣殿の御死骸実検の事
義朝が、弟達を斬首、それを悲嘆して奥方自害。
 11 下巻 第十四 新院讃州に御遷幸の事
         并びに重仁親王の御事
下巻 第十五 無塩君の事
下巻 第十六 左府の君達并びに
          謀叛人各遠流の事
下巻 第十七 大相国御上洛の事
崇徳院の讃岐への島流しが決定。
 12
 最終章
下巻 第十八 新院御経沈めの事
          付たり崩御の事
下巻 第十九 為朝生捕り遠流に処せらるる事
下巻 第二十 為朝鬼が島に渡る事
         并びに最後の事
崇徳院讃岐にて憤懣の内に崩御。
西行法師の墓参。
鎮西八郎伊豆大島へ遠流、自決。
      なお、崇徳院と西行法師との交情については、「西行と平家物語」をご覧下さい。
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